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きっかけ〜発病ここでは,わたしがうつ病になってしまったきっかけから,発病までのいきさつを簡単に紹介したいと思います。 まだうつ病になっていない方には,そんなことで病気になるのか,と注意を促す意味で,既にうつ病になってしまった方には,自分もこうだったかも,と気付く助けになれば幸いです。 2002年4月頃:異動この頃,私は入社して8年目。平社員だけど中堅クラス。入社以来任されている仕事では第一人者として一目おかれる存在になった。 でも,私が任されている仕事は,はっきり言って課の中では傍流。主流ではない。この頃になると,後から優秀な後輩がどんどん入ってきて,主流の仕事で伸びて行く。周りは忙しいのに,自分は手持ち無沙汰気味。手伝ってやろうにも,後輩がやるほうが手際が良い。 だんだん自分の居場所がなくなってきた・・・そう感じていた頃 突然隣の課に異動が決まった。 「おまえ,来週からあっちの課に行ってもらうから。詳しいことは向こうで聞いて」 と言われ,異動先の課へいってみると, 「いやぁ,おれもさっき聞いたばっかりなんだよ,なにやらせようかなぁ,考えるからとりあえず待ってて」 という具合。少なくとも請われて異動するわけではないようだ。ついに自分もお役ご免か,と落ち込みつつ,まぁなるようにしかならんわい,と開き直りもできた頃だった。 2003年4月:昇進その1年後,入社10年目で主任(係長クラス)に昇進した。 大学院卒で入社してまる9年で主任は,うちの会社ではレギュラーペース。予期してはいたが,実際昇進してみると,自由度が増える分責任が重くのしかかる。また,部下も付くようになり,人をうまく動かして仕事をこなしてゆかなくてはならない。今までのように,自分が徹夜でもしてがんばれば何とかなる状況ではない。 おりしも,サービス残業のチェックが厳しくなり,徹夜でがんばりたくても仕事をさせてもらえない。 仕事は上手く部下に振り分け,自分は旗振り役をする立場になっていた。「おまえの好きなようにやればいいんだ」と言われるが,一体どんな旗を振ればよいのだろう? 思い起こせば,子供の頃から自分は何になりたかったんだろうか?そう,自分は「偉い人」「技を持っている人」になりたかったんだ。「大きな仕事がしたい」「成功してほめられたい」とおもっていたんだ。じゃあ,実際「何を」やりたかったのか・・・・ それが無いことに気付く。 好きなようにやろうにも,自分の具体的な意思が無い。入社していままでそんなことを考えたことがなかった。ただ,「うまくやりたい」だけだった。 一応与えてもらった仕事をこなしては行くものの,心の底では途方に暮れてしまっていた。 2003年夏:部下にうつ病発生私が任されていた仕事の,お客さんへの納入間近(残り2週間程度)になって,仕事を任せていた部下(といっても協力会社の人で,直接の部下ではなかったが)が,うつ病で会社に来られなくなってしまった。 日ごろは明るくしゃべる人で,スポーツもやり,とてもうつ病になるような人には思えなかったが,聞けば,数年前に一度やってしまい,今回は再発だという。 彼無しで仕事を片付けるしかない。関連会社も巻き込んで上を下への大騒ぎになり,私も今度ばかりは残業,休日出勤を許してもらい,夏休みを削って何とか納期に間に合わせた。 自分の瞬発力には自信がついたが,計画性の無さにはほとほと嫌気が差した。「よくがんばったな」とほめられる分だけ,気持ちが沈んでゆくのを感じるようになった。 そして,うつ病というのはどこにでもある病気なのだとわかった。 2003年秋:周囲にもうつ病発生この年の8月末,9月末頃には,多くの仕事の納期がかさなっていた。そんな中,同じ課の中のとある主任の姿がしばらく前から見えないことに気付いた。知っていそうな人に聞いてみたところ,はっきりとは答えてくれなかったが,どうもうつ病で休んでいるらしい。 隣の課の若手もここの所うつで会社に出られなくなっている人がいるらしい。うつ病は伝染するのだろうか。 今は,深く考えている暇は無く,納期に向けてただただ仕事を片付ける毎日だった。 そして,無事納入を終えたとき,・・・・ 次の仕事が待っていた,というより,前々からやらなくてはならなかった仕事が前面に出てきた。この仕事をどうやって進めていけばいいんだろうか?今の自分にそんなビジョンはまったくなかった。 2004年1月〜2月:トラブル発生&主任論文まがりなりにも計画を立て,その計画に沿って仕事を進めてきた。しかし自分の心の中では,その計画は自分の意思で決めた計画ではなく,上司に教えられ,誘導されるままに立てた計画だと感じていた。 自分の意思が無いままにスケジュールは進んでゆく。というより遅々として進まない。リーダーであるべき自分が,ちゃんと旗を振れていない。 1月には,お客さんと共同である実験をやる計画にしていたが,実験開始の前日になって,実験機材の強度に一部問題があることが判明した。設計した部下の責任ではない。設計をレビューしチェックし,問題があれば指摘すべき立場の自分が,全く機能していなかったためのように思われた。 結局,お客さんに頼み込んで実験は1ヶ月延期させてもらった。 その頃の自分は,実験のリーダーとして,お客さんとの交渉やこまごまとした準備,課題,などなど,実験に関る色々な細かいところが気になって仕方が無く,上手くいかないんではないかという恐れでいっぱいであった。 それが証拠に,実験の延期が決まったとき,正直に言って「ほっとした」のだ。恥ずかしいことに実験の成功に自信が無く,モラトリアムがもらえた事が嬉しかったのだ。 そして,今の機材で実験をするのが怖かったのだ。 その後の1ヶ月,日割りのスケジュールをたて,グループ員全員で確認しながら作業を進めた。しかし,その日割りのスケジュールも自分が立てたと自信を持っていえるものではなく,日を追うごとに遅れが目立ってくる。そういうときに全体を調整し,客先とも調整し,担当者には必要な助言を与えてサポートし,計画を推し進めるのがリーダーの仕事,主任としての自分のしごとなのだが,それが出来ない。問題が持ち上がったときに,「自分はこうしたい」という方針が見出せず,その度に上司の助けを仰ぐか,悪くすると担当者に任せっきりで放置された。 丁度そのころ,実験と前後して,主任になって1年目の論文発表をすることになっていた。 テーマは「主任としてどうあるべきか」 能書きを書いてしゃべるだけなら幾らでも出来る。主任の立場はあーだこーだ,自分は主任として1年間こうやってきた,今後はこうするつもりだ・・・発表の練習もした。時間内に滞りなく説明することも出来るようになった。 ・・・それが何になるというのだ。 しゃべる言葉がみんな白々しく・・・ 実際の自分との落差がのしかかる・・・・ そして,一ヶ月はあっという間に過ぎてしまった。 2004年2月12日:発病この前々日,実験前の社内の最後の確認会を行った。機材の最終組み立てはまだであったが,実際に機材を使う日まではまだ時間があったため,実験の実施までに必要な処置をすることで,実験の実施が許可された。 一気に気が抜けた,と同時に怖くなった。 この確認会が,実験実施までの最後の関門であった。それが通ってしまった。もう実験の開始を妨げるものは何も無い。 このとき,私は怖かったのだ。実験が上手くいかないことが怖かったのだ。そう,小さい頃から「成功してほめられたい」子供だった。いまでも,「うまくやりおおせたい」だけの大人になってしまったように感じていた。それが,自分がリーダーとなった実験を目の前にして,怖くてたまらなかった。何か問題が発生したときに対処できる自信がなかった。自分はこうしたいんだ,という意思がもてなかった。みんなを引っ張ってゆかなければならないリーダーの自分が。 翌日の2/11日は水曜日だが建国記念日で休日。 前日の喧騒が嘘のような穏やかな日。14日の土曜日からの出張の準備に買出しに行った。4歳の娘がついてきた。寒いところに行くので,防寒装備を買い込んだ。トコトコ付いてくる娘は可愛かった。涙が出るほど可愛かった。 ・・・と,仕事と家庭の境界が分からなくなった。 逆に,昨日の喧騒の中に居る自分と今の自分が同じ自分に思えなくなった。力が抜けるとともに頭が真っ白になった。 そして12日の朝。 時計を見ながらも,布団から出られない。 時間は刻々と過ぎてゆく。もう今から家を出ても始業時間には間に合わない。早く行かなくちゃ,リーダーの自分が行かなくちゃ実験が出来ない,という考えと,自分がリーダーをやっていては実験が上手くいくはずが無い,怖い,他の人がやったほうが絶対上手くいく・・・・自分なんか居ないほうがいい・・・自分はもう会社にいってはいけない・・・・その方が上手くいく・・・・そんな考えが頭の中をぐるぐる回る・・・・。 普段ならそんな考えは横において,えいっと布団を出てしまい,あとは会社に行って,やることをやるだけだったが,その日に限って,布団を剥ぐことが出来ない。頭の中は真っ白になってしまい,何も考えられない。布団から出る気力が出ない・・・・ こうして私の「うつ」との戦いが始まったのだった。 |
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