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闘病日記

ここには,発病以来,現在(ホームページ開設から1年,2005/9月)までの闘病履歴,状態の変遷を書いてゆきたいと思います。同じ「うつ」の人に少しでも参考になれば,「あぁ,こんな人もいるのか」と思ってもらえれば幸いです。

2004/2/13 :初通院

会社に出られなくなった翌日,近所の総合病院の精神科に相談に行った。診断は軽度のうつ病(自殺を考えるまでではないがということ)とのことだった。原因はストレスと思われ,まずは「ストレッサー」から引き離すことが必要ということで,「抑うつ状態の為,1ヶ月間の自宅療養加療が必要」との診断書を貰った。

1ヶ月と聞いたとき最初は「1ヶ月も?」という意識だった。先生も「最初は1ヶ月と書くことにしているだけで,早く直ればそれにこしたことはないんだから」といっていた。ただ,「1ヶ月でだめなら3ヶ月と書きますから」とも言われた。

そして「うつは薬で治す病気ですから」と言われたのが一番の救いだった。そのころは,まだ自分が本当にうつ病なのか,単に会社から逃げ出した負け犬なのか,自分でも判断がつかないでいた。それを「病気」と断じてくれて,「薬で治すものだ」とも言い切ってくれたことで,少し楽になった気がした。

「まずはゆっくり休んで元気を取り戻してください,日ごろできなかった『遊び』をいっぱいやってください,会社に戻ることを考えるのはまだ先です」,といわれた。

「うつの薬は飲んですぐ効くものじゃないので,最初は副作用が出るかどうかを見る為程度の分量ですから,効かなくても気にしないで気楽に始めましょう」,とのこと。

「しばらくして体力が戻ってきたら,少しずつ何が原因でこうなってしまったかを考えて行くことになりますが,今はまだですから。本来のあなたを取り戻してからでいいんですからね」

「じゃぁ次回は2週間後で。2週間毎くらいで話をさせてもらって,その話す様子などから病気の直り具合を見てゆきますから」

こんな感じで私の療養生活が始まった。

しかし,急に「遊べ」と言われても,何をやってよいものやら思いつかない。「ひなたぼっこでもいいですよ」ということだったので,暖かい庭に出てウッドデッキの修理を始めた。(日曜大工が趣味のひとつであった)しかし,1日2日でぱっとやってしまうのではなく,気力が出ないときは一日ぼーっとして過ごしたりもしていたので,なかなかはかどらない。結局2,3週間かかったと思う。出来たときはそれなりに達成感があったが,それも一瞬のことだった。

この頃は,「ついに逃げ出しちゃったなぁ」という罪悪感と喪失感がかなり強く,人目を避けて暮らしている感じだった。特に,電話のベルの音に敏感になり,外出先のお店の電話が鳴っただけで,びくっとして会社から呼び出しの電話がかかってきたんじゃないか?と恐れていた。

しかし,実際に会社からの電話に私が直接出たのは2回だけだった。

1回は,会社の私のパソコンのパスワードを教えてくれ,というもの,もう1回は,会社の産業医の先生が相談に乗りたいといってくれているが,あってみる気はあるか?との課長からの電話だった。(もちろん2回とも妻に取り次いでもらった)

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2004/2〜3月 :産業医の先生と面談(1)

最初の1ヶ月が過ぎ,治らずということで,次の3ヶ月の診断書がでた。ここの総合病院の精神科の先生は,気長に治療する方針らしく,薬も最初はほんの少量からで,少しずつ増やしてゆく。それも1種類の薬でだった。そういうこともあってか,1ヶ月で治らなくても先生は別に気する様子も無い。

自分はといえば,まだ自分の病気を受け入れられていない状態。いつ会社から呼び戻されるかとびくびくしているような状態だった。

遊びとしては,マンガ喫茶というものを覚えて,はまっていた。マンガを読んでいる間だけは日常を忘れてマンガの世界に没頭することが出来た。時間を忘れて朝方までマンガ喫茶に居ることもあった。さすがに体調にも響くのでいい加減にしなさいと妻にたしなめられて,生活のリズムだけは崩さないように気を付けることにした。

そんなときに,会社の産業医の先生と始めての面談を行った。

場所は近所の喫茶店,妻同行(保護者同伴)。

ちょっと遅れて先生がきた。会社の保健室に居る先生なので,自分とは顔見知り。ぼそぼそと少しずつ今の自分の状態を説明した。とても緊張して肩がこる。でも先生はこのような状況は何度も経験しているから,といって今後の方針についてアドバイスをくれた。

  • まず,会社のことは完全に忘れる。職場からは直接家に連絡しないよう,産業医の権限でストップをかけるから問題ない。家でも奥さんが電話に出てくれればよい。
  • 今考えてはいけないことは「自殺すること」と「会社をやめること」。人生で重要なことを考えられる精神状態にないのだから,これだけは絶対に考えないように。
  • 3ヶ月と診断が出ているので,早くても3ヶ月は丸々使って直すようにしましょう。たとえば,1ヶ月はただ休んで,体力が付いたら次にうつに至った原因を考え,最後に今後会社でどうしようかを相談しましょう。あせらないことです。
  • お好きでしたらプラモデルか何か形に残るものをやってみてはどうですか?。成果が目に見えるのがいいし,あとで「ああ,こうやって乗り越えたんだな」と思い起こすことも出来る。

といった感じ。一時間程度話しただけで非常に疲れたけれど,これで大手を振って休める,と少し気が楽になった。

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2004/4月 :ペーパークラフトとマンガ喫茶

この頃になると少し生活のペースは出来てきた。

何の弾みか忘れたが,インターネットでペーパークラフトというものの存在を知った。厚めの紙に型紙を印刷し,それをカッターで切り抜いてボンドで接着して,バイクやら船やら動物やらを非常に精密に作ることが出来る。しかも型紙は結構インターネットで無料でダウンロードできるので,元手がかからない。産業医の先生に言われたプラモデルみたいなものが只で出来るわけだ。元々折り紙など細かい作業は嫌いな方ではない。あっという間にとりこになって,毎日マンガ喫茶に行くかペーパークラフトをやっているかという生活になった。

ただ,夜はなかなか長く寝られず,3時頃には目が覚めてしまうので,早朝にペーパークラフト,ひとつ作品を仕上げたら気分を変えてマンガ喫茶に,という感じで生活のリズムを一番に考えて遊び,気力,体力の回復に努めた。

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2004/5月 :実家へ帰る

以前は2週間に1回の通院だったものが,ゴールデンウィークをはさむ関係で1ヶ月に1度になった。

このときの病院の先生は,こちらが聞くことには答えてくれるが,余りいろいろ言ってくれる先生ではなかった。妻はそれが気になって,後に病院を替えることにするのだが,じぶんとしては,慣れた先生でもあり,違う病院へ行く気はしていなかった。

ゴールデンウィークが終わってまた2週間間隔に戻るかと思ったら,何のことは無く,次も1ヵ月後といわれた。なんだかこのままでは様子見のまま3ヶ月が過ぎてしまいそうで少々心配になってきた。

折角1ヶ月時間があるのだからと,妻にも勧められ,2週間程実家に帰ることにした。

実家はいま,父と母の二人暮し。父はもう定年退職して悠々自適の生活。いつでも来なさい,とのことで早速お邪魔させていただくことにした。

実家では,ペーパークラフトか読書かインターネット(ペーパークラフトの型紙収集)をしていた。ペーパークラフトは必ず1日1作品は作ることと決め,夜も夕食を食べたら睡眠導入剤をつかってすぐ寝る,その分朝は早く起きてもよしとする,という決め事にして,規則正しい生活に努めた。

最初はのんびりと気が休まる感じがしていたが,やはり親子となると色々気兼ねすることも出てくる。

だんだんと,インターネットをしている後ろから覗き込まれる目が気になりだす。

「ペーパークラフトなんかもう飽きただろう,木の帆船でもつくってみたらどうだ?」と勧めてくれる言葉が,今の自分を否定されているように聞こえて引っかかる。

「見たところそんなに酷く精神活動が阻害されている感じでもないから良かった。自分は治し方は分からないが医者の言うことをきけばじきに治ると思うぞ」という励ましの言葉が,逆に,大した病気じゃないと言われているように聞こえてしまう。

抜け道が見つからないまま,自宅へと戻る日になってしまった。

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2004/6月 :産業医の先生と面談(2),病院を替える

そろそろ3ヶ月の診断書も切れる頃だし,一度会って話をしませんか?という話が産業医の先生からあった。

前回と同じ喫茶店で待ち合わせ,回復が思わしくないことを話した。本当に治るのだろうか?,単なる女々しい性格の奴だってだけなんじゃないか,などと考えてしまうことをうちあけた。

と,先生から,例の病院は行って見ましたか?と聴かれた。

実は,妻から,違う病院へ行ってみてはどうか,と産業医の先生と相談していることは聴かされていた。自分としては,新しいところへ飛び込むのが怖かったこと,何より,その程度のことは性格の問題で病気なんかじゃないといわれやしないか,と考えて,逡巡していたのだった。

会社の産業医の先生からも,別にいやなことをやれというつもりは無いけど,どうです?奥さんの考えに従ってみるのも一案ですよ,いかがですか?といった感じで薦められ,結局別の病院に行ってみることにした。

産業医の先生に紹介された病院は偶然妻の実家の近くにあった。そこで,子供達を実家に預け,紹介された病院へ行ってみた。

こちらの先生はまた前の先生とタイプが違って,攻撃的な治療をするタイプ。質問もマシンガンのように矢継ぎ早によこし,とても答えられずにこちらは黙り込むばかり。薬も3種類くらいを一度につかい,1〜2週間で効果が出ないようなら見切りをつけて薬を変えてゆく方針。前の病院が4ヶ月間同じ薬を徐々に増やしていったのとはえらい違いだ。

「まぁ,うまくいけば,1週間で効果がでて,薬を調節していって早ければ1ヶ月半で完治ですよ,上手く薬があたるかどうかですね!」ときた。

まあ,これだけ押しが強く,向こうからばんばん聴いてくれる先生のほうが合ってるかもしれない,ということで妻と意見が一致し,このままこちらの病院に乗り換えることにした。

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2004/7月 :幻の回復

病院を替えて最初の1週間。3種の抗うつ剤を飲んだのだが,これがなんともすごい効き目。頭がじーんとするぐらい気分が高揚し,今までの治療が嘘のよう。

今までは,会社の人と出会ってしまうことを極度に恐れていた自分だったが,「今,外で会社の人に会ったら,『いやぁ,あと2週間くらいで会社もどりますから!』って言えそう」と妻に言えたほどだった。

しかし,結局のところその状態は余り長くは続かなかった。

1週間くらいで,元の,効いてるんだか効いてないんだか分からない状態に戻ってしまった。

薬に慣れてしまったのだろうか?それは分からない。

しかし,先生が言うには,「良くなれば必ず自覚できます,本人が一番分かりますから」とのこと。少し,薬を変えてみようかということになって,以後,少しずつ薬や分量を置き換えて様子を見ていくことになった。

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2004/8月 :薬が合わない日々

なかなか合う薬が見つからない。

非常な眠気に襲われて,体が火照って起きていられない状態になったこともあるし,一度などは薬を変えたとたんに,ズシンと上半身がだるく,重くなり,日ごろ出来ていたことも全く出来なくなってしまったこともあった。

手の込んだペーパークラフトはもちろん,マンガ喫茶に行ったのにマンガを読むのも億劫でボーっとテレビを眺めて過ごしてしまう,といった時期もあった。

病院の先生も少々困惑気味で,「この薬が合うと思ったんだけどなぁ,まぁじゃあ一番最初に戻して量を増やしてゆきますか」などとおっしゃる。まぁ,最初の薬が効いてなかったわけじゃないことだけはわかったが。

でも一方では「薬が合わないのは先生が悪いんですからね,まぁそうあせらないことです」といってくれるので,少しは救われる。

しかし,一体いつまでこれを続ければいいんだろうか。(2年かかった人もいるなどと先生も言うもんだから,逆に心配になってくる)

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2004/9月 :産業医の先生と面談(3)

8月末で診断書が切れて9月末の診断書を出しなおしてもらったこともあり,そろそろもう一度会ってお話しませんか?と,会社の産業医の先生からお誘いがあった。

今度は違う喫茶店で待ち合わせ,少し送れて先生がみえる。

今回は,今までと比べると色々自分から話せているような気がする。先生もそういってくれる。全く合わない薬があった件も,「それじゃぁ前の薬が効くって分かったってことじゃないですか☆」とポジティブに捕らえて至極楽観的。それにつられて自分も治ってきたような気がしてくる。(本人内科医だからどこまで信じていいかはわからないが・・・・)

確かに,一番最初は突然のことでパニックのような状態だった。

ついで,落ち着いてくると,罪悪感と焦燥感のようなものに襲われた。

発病から半年たってやっと,自分の病状が見えるようになってきたような気がする。少し頭がすっきりした感じ。

最初の先生に「うつは生きるエネルギーがなくなってしまう病気だ」と言われたことを思い出す。最近はそのエネルギーがどれだけ溜まっているかが少しずつ分かるようになった気がする。

もちろん,今日はダメ,エネルギーゼロ・・・という日もあるのだが,今日はこの程度までは出来そう,というのがわかるようになってきた。

「そういうのの中からモニター項目を決めてモニターしていくといいんですよ。」と薦められた。

前回にも同じことを言われたのだが,何をどうモニターしたらよいやら見当も付かずに手を付けかねていたのだ。今回は多少は出来る気がする。早速妻がサンプルを作ってくれたので,それを基に毎日点数をつけていってみることにした。

やってみると,確かに,調子の良し悪しが数字ではっきり出てくる。これだけは毎日必ず続けて,後は合う薬にあたるのをがんばらないで待つことにしよう。

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2005/9月 :再び転院

それから結局1年が過ぎた。

状態は低空飛行を続け,自分でも意欲があるんだかないんだかわからない状態に陥ってしまった。さらに,薬の副作用か頭痛が酷く,頭痛にやられてしまって,意欲が出る出ない以前の状態が延々と続いた。

合う薬が見つからないまま,主治医の先生から「投薬治療の限界というのもありまして・・・」と言われるようになった。

先生はしきりに「電気ショック療法」なるものを勧める。しかしいくらなんでもそんな壊れたテレビを叩いて直すような治療は受けたくない。「いやかなりの確率で治るんですわ」などと言い出す。こちらは絶対「うん」とは言わない。何度かのやり取りの末,電気ショック療法は止めるかわり,別の目で治療方針を見直してもらったほうが良いということで,大学病院に転院することとなった。

悪い言い方をすれば,医者にさじを投げられたのだ。

新しいお医者様がどう見立ててくれるか・・・今は白紙の状態で,つかの間のモラトリアムに浸っている。

(つづく)2005/9/4

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